Ambiguous Zones 8: Non-Gravitational Being, 1983-1984

荒川修作《無重力の存在》1983-84年, 254ⅹ345.4cm
Arakawa, Non-Gravitational Being, 1983-1984, acrylic, graphite, art marker and PVA on canvas (in two parts), 100 x 136 in. Photo: Rob McKeever

みなさま

本日のAmbiguous Zonesシリーズ第8号では、アラカワの大型絵画《無重力の存在》(1983-84年)を詳細に見ていきます。この作品は、アラカワ+ギンズの概念である「ブランク」(空白)についての短い解説となっており、アラカワ+ギンズの1980年最初期の作品群を知るための格好の入門となっています。本作品の簡単な形式分析は、この二人がどのように時空やエネルギー=物質のコンセプトを考え、異次元における重力作用を構想したかを瞑想するための準備体操となります。小惑星2009 JF1が2022年5月6日に地球に衝突するという科学者たちの予言が幸いにも間違いであることが分かっただけに、短いながらも今回の物理学に関する考察を楽しんでいただけることを願います。

Yours in the reversible destiny mode,

Reversible Destiny Foundation and ARAKAWA+GINS Tokyo Office

《無重力の存在》についての一考察

アマラ・マグローリン

荒川修作の絵画作品《無重力の存在》(1983-84年)では、異なる方向を指し示す数多くの矢印が気流の流れのようなパターンで大型地図に配置されています。画面左側は空白で地図が未完成のようですが、なぜでしょう。果たして作家が制作を終えなかったのでしょうか。はたまた描いたものの消されてしまったのでしょうか?ひょっとすると、地図の制作者が、何がそこにあるべきかを知らなかったので空白の部分を埋めることができなかったのかもしれません。あるいは測量や作図が未完了なのかもしれません。「なぜ」の可能性は尽きません。何らかの出来事が途中で中断されたのかもしれません。作品は見る人によって活性化されることを待っているのかもしれません。あるいは見る人が作品と共に、また作品のそばで成長することになるのかもしれません。

カンバスはおよそ254ⅹ345.4センチの大きさで、見る人を圧倒するサイズです。普通の地図なら見る人が道順を確認したりできますが、このサイズではむしろ位置が分からなくなってしまいそうです。見る人を取り囲みながら何も語らない地図は、荒川が関心を寄せていた「プロト知覚直前」の時間を長引かせます。荒川の言葉を引用するなら、作家は「想像力が動き出してイメージを生み出す——その以前の状態」を描きたかったといいます。この瞬間がカンバスの上に表現されていると解釈できるでしょう。ただ、《無重力の存在》では、「知覚直前」の効果を見る人の内に持続させようとしたのかもしれません。つまり、作品も見る人も活性化のためにはお互いを必要としているのです。

画面の上のさまざまな要素は少なくとも5つの平行する平面に配置されているようです。地図は一番奥の第5平面で、ワニスが黄変した部分もこの一部です。その手前の第4平面には、言葉が見るからにランダムにステンシルで記されています。絵具の斑点や滴りもまたあちこちに散在します。さらにこの平面には、座標軸のような形を構成する黒線(以下で説明)の下にかすかに見える白円、およびカンバスの上部に見える上下逆にステンシルされた一文がみられます。言葉や文章の上に回遊する数多の矢印は第3平面を構成します。一方、座表軸の役割を果たすかのような黒、黄、赤色の短線、そして灰色の球体は第2平面に存在します。見る人に一番近い第1平面には、大きな円弧がぐるりと画面下方に描かれ、この円弧を引き延ばすかのように二本の大きな矢印が左右に両端に配置され。画面上部では二つの矩形が画面から退出するかのようです。

荒川修作《想像力の図形》1965年, 152x229cm
Arakawa, A Diagram of Imagination, 1965, acrylic, graphite, colored pencil, pastel, art markeron canvas, 61 x 91 in. Photo: Rob McKeever

これほどまでに複雑な構造をもつ作品を理解するのは容易ではなく、同種の荒川作品を見ることが必要になります。それらの作品に登場する類似のモチーフや言葉や文章を考えることで荒川の思想が明らかになるからです。荒川の初期のダイアグラム絵画には、《想像力の図形》(1965年)のように地図を取り込んで、STREETやOCEANといった名辞を付したものもあります。

1980年代初期には、これらの名辞にかえて、地図に観光名所の標高を付し建造物を地図に配したタイプもあります。これもまた記号化の一種で、名称がすぐに分かる観光地図ならではの趣向です。特徴のある建造物の形態は、その名前と同じく土地の人々にとってなじみのあるものです。広く世界の人々にとっては、標高を知ることによって目的の場所に正しくたどりついたかどうかを判断するのに有用かもしれません。いずれにしても、こうした空間の二次元表象は、名称に付された標高という最低限の情報によって、その都市の住民たちの国家的アイデンティティが三次元世界の背後にあることを示唆するものです。

実際、観光の名所は見れば分かるものなので、荒川の描いた地図を見る人は、詳しく見ていくほどにそれらが何なのかが分かるようになります。たとえばパリのノートルダム大聖堂は印象的な形態で、《無重力の存在》では灰色の球体の付近に位置するので、見る人が最初に気づく建造物でしょう。そこからセーヌ川に沿ってを左に行くと、ルーブル美術館とテュイレリ―公園が判別できます。この下にはルクセンブルグ公園とパンテオンなどが認められます。ところで、こうして名所が確認できるので、実際の市街区画とは若干異なりますが、パリにいるような気分にもなります。ただ、どの都市の地図であっても作品の意味は変わりません。確かに、作品制作に作家が参照した地図はまだ発見されていませんから、荒川が参考にしたであろう地図に何らかの改変を加えたかどうかも不明です。ただ、よく知られているように観光地図の街路は簡略化されていて、せいぜい名所スポットの位置を示すほどの精度ですが、中にはそれすら十分でないものもあります。

さて、作品の上部にステンシルで記されたテキストは次のように読めます。「道に沿って、エネルギー物質の中で、ある個人は / ブランクを形成する。ブランクが形成されるにつれ、時空が出現する。ブランクは / 時空が出現するための媒体である」。この一文は上下を逆にしてカンバスに記されていますが、その中の言葉はいくつかランダムに画面上に浮かんでいます。

作家は、見る人がこれらの言葉を「無重力の存在」とみなすことを意図したのでしょうか。これらの言葉に対応するものは地図上にはないようですが、その多くが右パネルのワニスのかかった黄色い部分の輪郭線に沿って配置されているようです。たとえこれらの言葉が重力の影響を受けていないとしても、時空の中に密度やテキスチャーの異なる場があり、それに反応している、あるいは影響されていることを示すのでしょうか。これらの言葉は作品上方の文章の構造とは無関係に画面に浮かんでます。その内部構造自体は見る人に理解できるものの、上下が逆という何らかの混乱を起こしかねない形で提供されています。特に、重力に左右されない存在を扱っている場合、どちらが上なのか、確信をもって判断することは困難です。

ここに記されている一文も含めて、「ブランクの形成」を解説する文章は、この時期の他の作品にも見出せます。それらを見ていくと、本作品の読み方についての洞察に富んでいます。同じことは、矢印で埋められた平面にも当てはまります。矢印は荒川作品にとりわけ頻繁に登場するモチーフの一つです。矢印もまたブランクとその形成に関与します。この点については、また稿を改めて論じたいと思いますが、今回有効な一つの解釈は、エネルギー物質は、矢印が示すように、おそらく高密度の領域から出発して時空の中でブランク形成を生起させる、というものです。

荒川修作《固有名詞》1983-84年
Arakawa, Proper Noun, 1983-1984, acrylic, graphite, art marker and varnish on canvas (in two parts), 100 x 136 in.

右パネル中央にある高密度で暗灰色の球体は、もう少し詳しく見る価値があるでしょう。連想されるのは、荒川の《固有名詞》(1983-84年)の左パネルに描かれている平滑に黒く塗られた突起のある円です。ギンズは『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』(1994年)で同作品を次のように解釈しています。すなわち、《固有名詞》の地図は時空を表現していて、この円から繰り出されたもので、荒川はそのプロセスを図解しています。まず、左パネルは「繰り出し」が起きる前で、点はあらゆる生起のポテンシャルをたゆませています。右パネルで高密度のエネルギー物質が繰り出し切り開かれると、いくつもの開口部が出現し、密度のバリへ―ションが生じます。右パネルに見える靄のかかったような白い部分はこの状態を表している解釈できるでしょう。これは平たい二次元の円ですが、エネルギー物質が中に凝縮しているとすれば、その次元的存在もまた、ブラックホールのように凝縮されているでしょう。

同様のエネルギー物質の繰り出しが《無重力の存在》でも起こっていると理解するなら、いくつかの出来事が順を追って起こるという考え方を捨て去らなければなりません。なぜなら、球と繰り出した時空の両方が表現されているからです。ただし、それぞれの次元は異なるかもしれません。もしも、見る人が絵の前に立ち作品を活性化することにより真に繰り出しが始まるとすれば、この球は「現在地」を示す点として作用するわけですが、必ずしも見る人を文字どおりシテ島(Île de la Cité)に位置付けるのでありません。ただし、ここで荒川は異なる次元性をテーマとしているので、見る人がまさに シテ島にいるという可能性自体を否定するわけにはいきません。

荒川修作《それはその中に No.2》1974-75年
Arakawa, That In Which No.2, 1974-1975, acrylic, graphite, art marker and collageon canvas, 65 x 102 in. Photo: Rob McKeever

左パネルに目を移しましょう。交差する黒・黄・赤色の三本の線の先例は地図の絵画にはありませんが、高さ、幅、奥行きのある三次元空間の座標軸を示すのでしょう。だからと言って荒川の絵画空間が三次元でしかない、ということにはなりません。荒川が密度やテクスチャーを計算可能な次元性で考えていることは、他の絵画作品からも理解できます。だとすれば、交差する三本の線は三次元空間とは少々異なる意味を担っているかもしれません。しかしながら、仮に《無重力の存在》では、座標軸が三次元空間を表象しているとすれば、矢印は四次元である時間を表象していると読めます。こう読むと、この作品の時間は数多くの方向に向かっていて、私たちが通常理解しているように直線的に一方向には流れていません。ただし、私たちは荒川がカンバスの上に一定の規則で構成した世界にいるのですから、時間は荒川流に流れるわけですが、荒川が諸要素を構成した世界の中では、上で理論化したような時空の繰り出しを矢印が示していると考えるほうがより正確でしょう。ここで灰色の球に目を移すと、この球は凝縮されている、いないにかかわらず三次元以上を包括しているとも言えるでしょう。いずれにせよ、見る人に一番近い第1平面は、カンバス下部の円弧が暗示するように、四次元の湾曲空間を表象していると見ることもできるでしょう。

このように考察した要素をすべてまとめてみると、私たちはパリに行ったような気分にはとてもならないでしょう。ですから《無重力の存在》を風景画として考えてしまうと、変則的表現としても不十分だということになってしまいます。そうではなく、この作品で提供されたユニークな知覚を体験することで、見る人は時空とブランクがいかに関連しているのかを理解し始めます。見る人は自分自身がブランクだと知覚できる段階にはまだ至っていません。しかしながら、荒川には他にも何点もの絵画によって出会いの契機を演出していますから、それらを通じてブランクに到達することは可能です。

ただ今回はエネルギー物質が異なる密度とテキスチャーを持ちえること、そのことにより知覚主体が時空の繰り出しを経験する仕方が左右される、という二点を理解するだけで十分でしょう。今後のエッセイでも、これらの点をさらに探求していきたいと考えています。

¹Charles Haxthausen, “Diagrams for the Imagination,” in Arakawa: Diagrams for the Imagination, ed. Ealan Wingate (New York: Gagosian, 2019), 13. In the corresponding endnote, Haxthausen states that this is his own “translation from the Dutch of what was clearly a Dutch translation from the Japanese” found in: Yoshiaki Tono, “Het schilderen van Shusaku Arakawa: een voorstadium van de verbeelding,” Arakawa, exh. cat. (Eindhoven: Stedelijk van Abbemuseum, 1966), n.p.