2021年最初の『Distraction Series』となる第15号では、荒川とマドリンと深い親交のあった詩人ドン・バード氏の言葉をお届けします。
マドリンと荒川は最高に思いやりのあるアーティストで、永遠に共謀者を探していた。
マドリンはよく私に電話をしてきた 「ハーイ、今話せる程度の状態かしら?どうやって私たち死なないようにしないつもりかしら?」 死なないということ(To Not To Die)、彼らが出版した数々の本のうち最も重要な一冊のタイトルである。
時には彼らから文書のパッケージが送られてきた。それは電話がくることを予期せよというシグナルだった。電話中度々彼女は私を待ち受け状態にして、私が何を言っているかを荒川に伝えるのだった。
彼らは他にもたくさんの人々とのふれあいがあった。何かアイデアを追いたい時には、マドリンが突然電話をかけ、本を送ることを約束し、それから質問攻めに入るのだった。
今となると、彼らのコラボレーションである意味のメカニズムから最後の建築の仕事までが一つのものであることがわかる。美的もしくは理論的な全体ではない;未完そして完成不可能な一プロジェクトであり、一美術作品ではなく、避けられず短縮されてしまった人生の一仕事である。
マドリンと荒川は巨匠だった。彼らの未来像は概念やイメージではなく実行可能な手順で満ちていた。彼らの絵画、著書、建築は私たちの動く注意と動く体を必要とする。作品自体ではなく、作品が可能にするものが大切なのだ。作品は私たちの一時的で薄弱な状態を扱う。私たちは倒れてしまうかもしれない。
今何がなされるべきかである。 「今話せる程度の状態かしら?」
私は電話を受けるのが嬉しかった。リアルだったからだ。しかしコラボレーションに参加するのは難しかった。彼らは40年間一緒だったのだ。爪先立ちの状態で最も難しいことを考えることが要請されたし、地球全体が打ち負かそうとするのだ。
1時間後には私は疲労困憊していただろう。
2015年1月8日、マドリンの友人数名がパスカロウというニューヨークのマジソン街のレストランに集まり、彼女が皆に貸してくれた計り知れないエネルギーを偲んだ。それは寒い夜の暖かい集まりで、私たちはその後毎年会うことにした。今年は他のほとんど全てのことが中止になる中、夕食会の誘いの電話も鳴らなかった。
ふと私は、マドリンと荒川はCOVID-19について何というだろう、と想像していた。彼らはマスクをつけ厳格に距離をとることに従っていただろう、たぶんほとんど消息を絶つほどに。マドリンは激怒し、荒川は禁欲的であるだろう。マドリンはいつものように電話しているだろう。いつもの彼らの調子でこういうだろう、「人間の歴史は終わりなきパンデミックだ。皆死んでいった。」
どうやって彼らの後を引き継いでいこうか?まだまだたくさんやる事がある。思い出すべきは、どんな状態であってもマドリンと荒川はプレイフルだった。
プレイボール!
—ドン・バード
今年はよい年になりますように!
Yours in the reversible destiny mode,
Reversible Destiny Foundation and the ARAKAWA+GINS Tokyo Office
Top image: Portrait of Arakawa and Madeline Gins at 124 West Houston Street, New York
Bottom image: Arakawa and Madeline Gins, Study for a Baseball Field for the Architectural Body, 1991-1992