Ambiguous Zones 12

アラカワとマドリン・ギンズ、124 West Houston Streetのスタジオにて

みなさま

新しい年の始まりにAmbiguous Zones 12号をお届けいたします。今回は、ニューヨーク市立大学大学院美術史博士課程在籍中、そしてリバーシブル・デスティニー財団インターンでもあるチェウン・リ氏による荒川とマドリン・ギンズのブランクの概念に関する小論です。リ氏は現在執筆中の博士論文では、1960〜70年代アジア系アメリカンおよびアジア移民アーティストの作品にみる抽象と美学における政治性に焦点を当て、彼らがいかに人種的、文化的、そしてジェンダーのアイデンティティーを問題化することによって、これらの規範に捉われぬ自己と世界の構築を目指したかを研究されています。今回ご寄稿いただいた彼女の小論はブランクという概念をわかりやすく紹介するのみならず、新春にふさわしく心機一転、新しい視点を持つことの大切さを考えるきっかけを与えてくれます。

Yours in the reversible destiny mode,

Reversible Destiny Foundation and the ARAKAWA+GINS Tokyo Office

「かまびすしくそこにあり、動き回り、そして視野に転がり込んでくる」
1968年−1982年における荒川とギンズの作品にみるブランクを辿って

チェウン・リ

図1:荒川修作<「移動するブランク」の習作>(Study for “Shifting Blank”)、 1979年;アクリル絵具、黒鉛、リトグラフ、紙;108 x 152.1 cm

荒川の<「移動するブランク」の習作>(Study for “Shifting Blank”)は、小さな矢印の群れが渦巻くパターンの層をなして画面全体を埋め尽くす絵画作品である。ニュートラル色の地からなる背景にはどこかの都市の地図がダイアグラムとして描かれ、その上にテキストの列が書き込まれている。(図1)この作品は「ブランク」という用語にまつわる1980年頃に制作された一連のドローイングと絵画作品群のうちの一点で、この用語は1970年代半ばから荒川とギンズの作品に度々現れるようになった。その意味とは裏腹に、多方向を向いた無数の矢印は都市の境界から溢れ出るほどの活発な動きとエネルギーを示し、ブランクという言葉の意味とは逆に満ちたりたものにしている。

図2:荒川修作<ブランク>(Blank)、 1968年;アクリル絵具、黒鉛、アート・マーカー、グラフ・ペーパー; 86.4 x 66 cm

荒川とギンズのブランクとの関係の歴史は、この概念が彼らの活動全体と思索の旅の軸となることを考えると、1960年代まで遡ることができるだろう。荒川のドローイング<ブランク>(Blank、1968年)では「イエス」と「ノー」という二つの選択肢を示すボックスとともに、美術鑑賞における客観性のそぶりを暴く驚くほどに簡単な質問が問われるー「この絵は好きですか?」(図2)荒川とギンズはその翌年春、ヴィト・アコンチとバーナデット・メイヤーが開催した《ストリート・ワークス》というアーティストや詩人たちによるハプニングのシリーズに参加している。このイベント中、ギンズは空白部分がたくさんあるアンケートを道行く人々にくばり、空白箇所をうめた後に彼女に郵送するようもとめた。返送されたこれらのアンケートは「意識の性質」を探索する「集団小説」の一部となる。 [1] (図3)初見では回答者の氏名と年齢を訊ねる普通のアンケートであるが、実は革新的に型破りな内省を余儀なく要請する数々の挑発であることがまもなく理解される。アンケートの中頃に下記のような文章がある:

私は________によって動く。私は________と________で成り立っている。これは________の部分からなる。動く部分で最も重いのは________である。
私は私の思考が身体的に________の中(外)であると感じた(明確に記入すること)。
それらは________を起動させる________という物質でできている。[]

ブランクは私たちの好奇心を、すでに与えられた、もしくは、未知のものと日頃考えている人間の存在やその役割へと向けさせる。何が私たちを(身体的にもしくは感情的に)動かすのか?私たちは何によって(生物的にもしくは精神的に)成り立っているのか?私たちの思考はどこに在るのか、どのようにして私たちはその在処を感じるのか?ギンズの文章のかけらから分かるように、自由解答方式のブランクと一風変わった角度からのアプローチはこれらの質問に対して無数の創造的な返答を促す。その良い例としてロバート・コーディエからの奇妙でちょっとコミカルな解答が挙げられる。(図3)荒川とギンズによるこれら初期の実験では、ブランクは文字通り印のないボックスもしくは空洞として彼らの作品の一部をなす。簡単に埋めることはできないにもかかわらず観衆の応答を要請するブランクは、当時まだ制作途中の<意味のメカニズム>(The Mechanism of Meaning、1963−71年)のインタラクティブでゲーム的なパネルのように、問いかけの装置としての役割を持つ。 [2]

図3:<ストリート・ワークス>(Street Works) エディション 0 TO 9に掲載のマドリン・ギンズによるアンケートに関連するロバート・コーディエから返送されてきた返答(無題)、タイプスクリプト、1969年。Box 2A05, Folder 2, Reversible Destiny Foundation Archives

1973年から1980年の間に、荒川とギンズのブランクの探求は「ポイント・ブランク」(point-blank;直射的)という複合語となって研ぎ澄まされていく。荒川の1973−74年制作<ポイント・ブランク>(Point Blank)では、キャンバスの両端に位置し原色で描かれた6つの円筒形 3 から密集した光線が放射されている。(図4)画面全体に広がり交差する線の後ろには、次のようなテキストが白色でステンシルされている:“POINT BLANK: / DISTANCE OF FOCUS, / HOW ANONYMOUS IS / THIS DISTANCE / WHICH IS A TEXTURE” (ポイントブランク:/焦点の距離、/どれほど匿名か/この距離は/一つの組織体である)。二人が考え出した多くの格言にみられるように、テキストの意味は即座には解読できない。しかし、繰り返し呼び起こされるポイント・ブランクの距離からは、この言葉が瞬時に思い起こさせる即時性への挑戦に対する作者の興味が明らかにわかる。どのような複雑さが主役とそのターゲットの間の距離―この二者がいかに近くにいたとしてもーに住まうのか?1979年出版の『意味のメカニズム』の序文を見ると、このことはさらに確認される。その中で荒川とギンズは彼らの調査の目的は、何かが「考え抜かれる」時に「そこに起こるもの」、であるとはっきり説明する。 [4] 私たちが「思考」と呼び、あたかも一瞬に起きるかのように思っている頭脳の作動を徹底的に調べるために彼らは問う:「いずれにしろ、思考の或る瞬間、直射的(ポイント・ブランク)に現れるものは何なのだろう?」 [5]

図4:荒川修作<ポイント・ブランク>(Point Blank)、1973–74年;アクリル絵具、マーカー・ペン、キャンバス;121.9 x177.8 cm

未出版スケッチの一点から、1975年までに荒川がすでに「ブランク」というコンセプトそのものに注目を注ぎ始めていたことが明らかである。(図5)このスケッチの表裏両面に、<ポイント・ブランク>(Point Blank、1973–74年)の中の円筒形のバリエーションとも見えるような、回転する円錐形から無数の線が伸びる形体が描かれている。ドローイングの下部にはこう手書きされている:「誰がブランクを送っているのだ?!!/解明を通して出てくるミステリー/線は描写の瞬間を包含することはできない/体験の可能性」。

<形成の距離/模型の模型/その>(Distance of Forming/Model by Model/The、1978–79年)や<声をのみ込む者/人工的に与えられたもの>(Voice Drinker/ The Artificial Given、 1978–79年)などの後の作品では、回転する円錐形のモチーフが、より神秘的な様相となった「誰が」という問いかけと合わせて(テキストの一文には「送る者と受ける者の両方とも構成上の覆い、、、」とステンシルで描き込まれている)、さらに複雑な形となって現れる。(図6)さらにメモからは荒川によるブランク概念化の継続性が見てとれる。例えば、ブランクは未踏(ミステリアス)であり、さまざまな可能性に満ちている、そしてこの不可知であることを知る事自体が啓発(解明)なのである、と。

図5:荒川修作未確認のスケッチ(誰がブランクを送っているのだ?!!」)(Unidentified [Who is sending Blank?!!]),1975年;黒鉛、紙; 34.3 x 53.3 cm
図6:荒川修作<声をのみ込む者/人工的に与えられたもの>(VOICE DRINKER / THE ARTIFICIAL GIVEN)、1978–79年;アクリル絵具、キャンバス、 185 x 305 cm

ブランクの概念が成熟した段階の重要文献の一つに、フランスの画商エーメ・マーグ(Aimé Maeght)が創刊したアート雑誌『デリエール ル ミロワール』(Derrière le Miroir)の第252号(1982年)がある。マーグ画廊で開催された荒川個展に合わせて出版されたこの号には、荒川の最新絵画とドローイング9点のフルページ複製とともに、彼とギンズ共同執筆の「ブランクの特性」が掲載されている。いわゆるブランク論稿とも言えるこのテキストは、ブランクは「領域(area)」、もしくは「活動(activities)」という視点から言うと「未だ活性化されておらず」、「不確定」であり、「一度にさまざま違った振る舞いに至る能力を持ち」、さらには私たちの「無効にする」もしくは「変容する」力である主観性に不可欠である、と解説する。[6]  つまりブランクとは、すでに私たちの一部であるオープンエンドの活動の領域であり、そこには与えられた考え方、感じ方、そして行動の仕方であると私たちが思っているものを覆す可能性が潜在するのである。このようなブランクは、比較としてさまざまにあげられるエクササイズの例を通して、不在というような意味合いからははっきりと区別されている。

空虚、無、空(から)、白紙(タブラ・ラーサ)、真空。これらの概念はいずれも、「ブランク」という概念によって、私たちが指摘したいことを表してはいない。

第一に、ブランクは開かれているという意味で、とりわけニュートラルな状態で置かれたものである。ブランクはそこに存在するが区別できないものであるから、無ではない。ブランクはたまることができるから、空虚ではない。ブランクはおそらく独自の運動法則を持っているから、それ自身は白紙(タブラ・ラーサ)ではない。ブランクは空(から)を満たすものである。ブランクは、真空がどのようなものであれ、その概念を狭くしたり膨らませたりしたものと考えられるかもしれないが、真空と同じではない。[7]

興味深いのは、このテキストにはアリストテレスから老子、スワミ・ニキラナンダ(ヒンズーの精神指導者)からエドウィン・ボーリング(アメリカの心理学者)までと、時代と地域を超えて様々な思想家、作家、そして学者の言葉が次々に引用されていることである。その総数は32名からの47の引用に上り、荒川とギンズが当時只中にあった彼らのリサーチの経緯でどれだけ幅広い文献を読んでいたかがわかる。これらの引用文を詳しくみてみると、特に人間の意識、知覚、認識過程、そして言語について、どれもが同じようにおもだって懐疑的な角度からの見解を持ったものであるかに気づく。マインドの機能の信頼性に疑問を投げかけ(「それゆえ、魂の中で思考と呼ばれるもの、、、は、思考する前に実際の何かではない。―アリストテレス」)、無為という行為を直感とは逆行するように探索し(「道は何もしない。しかし、それですべてのことがなされる。―老子道徳経」)、そして人間の意識を理解するためのオルタナティブな方法を追及しているのである(「容易に報告できる意識上の内容は焦点的で、内省の対象となれる。全く報告不可能なものは無意識である。中間レベルや、余白ゾーンはあるだろうか?―エドウィン・ボーリング」) [8]

これらの引用を広範囲の文献からまとめることによって、荒川とギンズは彼らのブランクという概念をめぐる超分野的、超歴史的、そして超文化的な思想のアーカイブを作り上げた。自らの貢献をこのアーカイブに挿入するということは、グローバルで集団的な知的研究のフレーム内に自分たちの位置を確保するということである。私はこのアーカイブは、超分野的、超歴史的、そして超文化的であることによって、知識を通常カテゴライズし解釈する方法に逆らうものー「無効にするもの」―つまり「形成するブランク」を、ある意味演じている、と提案したい。一方向的な時間と空間の感覚による区画化や分類化という近代にはびこる傾向に反して、彼らの思想のコレクションは、ほとんどでたらめ、そして明らかな整理基準なしにミックスされ、そこから思いがけない類似性や共鳴が立ち上がることを許容する。例えばアートとサイエンス、古代と近代、「東洋」と「西洋」といった固定観念のように、私たちの考え方を構成しがちな境界線は曖昧になり、私たちは「そこにありながらも区別化されていない」思考の断片に率直に出会うのである。

このアーカイブの超文化性は、ブランクの概念の探索が荒川の「東洋的性質」の現れであると誤解されるリスクを持つものであることを思うと、特に注目すべきものである。 [9] 彼らの作品の主題に明らかな文化的要素が現れることはほとんどないが、その一方で、彼らがアジア出身のアーティストを取り巻く文化的本質主義を重々意識し、またそれに対して批判的に応答していた形跡は十分にある。 [10] マーティン・E・ローゼンバーグとのEメールのやり取り内に下記のようなギンズの返信がある:

荒川がブランクに言及しキャンバスにそれを呼び起こし始めた時、[ニコラス・カラス]は困惑し混乱しました。「そんなことをすると君のアーティストとしての軌跡に傷がつく。人々は君をオリエンタルの群れに放り込むだろう。批判性を持ったアーティストとして君を称賛することをやめてしまうだろう。」荒川はニコラス・カラスを敬愛し彼の意見を尊敬していましたし、どれほど深刻な危険に面することであるかを認めていましたが、それでもブランクについて書きそして描くことに向かったのです。彼のブランクは、いずれにせよ、批判的なブランクだったのです。[11]

様々な引用文のコレクションは、このような「深刻な危険」にもかかわらず荒川とギンズがブランクについて制作を続けたのみならず、アジアの思想家や偉人たちの声を呼び起こし続けたことを証明している。アジアを無条件に却下したならば、その「他者性」(つまり、「批判性を持つアート」とは相容れないという意味での他者性)をかえって認めてしまうことになる。その代わりに、彼らが編み出した思想の集積は超文化的会話の中に自身の場を確固たるものとさせるとともに、「東洋」と「西洋」という二項対立論そのものを覆すのである。

空白のチェック欄、アンケート、そして「ポイント・ブランク」さらにはブランク自体の概念的探索―荒川とギンズによるブランク性の解明と実現化への挑戦は様々な形をとった。これらの努力の過程で、身体、味覚、マインドの構成や働き、そして文化や知識の分類法など、人が当然と思いがちな事柄を彼らは系統的に疑った。その代わりにブランクを、ニュートラルかつ未だ確定しないエネルギーと可能性に満ちた開かれた状態として思い描いたのである。全方向に動き続け、私たちの時空間の存在に浸透する、群がる矢印たちのように。この意味でおそらくブランクは、この単語に関連付けられがちな不在や不足という概念からは程遠いものであろう。私たちが感性を十分に鍛えたならば、荒川とギンズの作品の中に、そして日々の生活の中に、ギンズの言うようにブランクが「かまびすしくそこにあり、動き回り、そして視野に転がり込んでくる」ことに私たちは気づくであろう。 [12]

[1] Lucy Ives, “EVERYTHING I RECEIVE WILL BECOME PART OF A NOVEL: An Introduction to the Work of Madeline Gins,” in The Saddest Thing Is That I Have Had to Use Words: A Madeline Gins Reader, ed. Lucy Ives (Hudson River Valley, NY: Siglio, 2020), 12–15頁。

[2] 「空白を埋めよ」的な質問はマドリン・ギンズののちの作品にも、特にブランクの概念に言及しながら引き続き現れる。その例の一文としては「ブランクを感じると言うのは__________。」など。Gins, What the President Will Say and Do!! (Barrytown, NY:Station Hill, 1984), 118頁参照。

[3]  画面両側最後方の二つの形はすぐには円筒形に見えないかもしれないが、筆者はこれらを、他の円筒が左右セットであるように、真正面から見た同じ円筒形のセットであると解釈する。

[4] 荒川修作/マドリン・H・ギンズ著『意味のメカニズム:進行中の著作(1963−1971、1978)|荒川修作の方法に拠って』、「序」、瀧口修造・林紀一郎(訳)、日本語版発行ギャラリー・たかぎ、1979年、頁番号無し。英語版はArakawa and Madeline Gins, preface to The Mechanism of Meaning: Work in Progress (1963–1971, 1978) Based on the Method of Arakawa (New York: Harry N. Abrams, Inc., 1979), n.p.

[5] 同上

[6] この号は英仏のバイリンガル出版。Arakawa and Madeline Gins, “Properties of Blank,”(ブランクの特質) in Derrière le Miroir No. 252 (Paris: Galerie Maeght, 1982), 頁番号無し。

[7] 同上。[訳者注:引用部分の日本語訳は『「荒川修作を解読する」展』カタログ、名古屋市美術館、2005年、56頁より転載。]

[8] 同上

[9] 荒川とギンズの作品制作やその評価において「東洋的性質」が、もしあったのであれば、どこでどのような役割をしたかと言う問題は今後の研究を必要とする興味深い点である。もしも荒川が出身や出生の根拠から日本もしくはアジア(それが何であるにせよ)を代表すると(誤)解されがちであったとするならば、荒川自身は東洋思想に深い造詣のあったギンズの方が彼自身よりも「もっとオリエンタル」であると語っている。Paul Gardner, “ARAKAWA: ‘I am looking for a new definition of
perfection,’”(アラカワ:「私は完璧の新しい定義を探している」) Artnews 79, no. 5 (May 1980): 64頁参照。

[10] 例えば『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』の第6章「わたしからわたしへ、あるいは東から東へ」、および第26章「他動性の行進」。『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』、渡部桃子(訳)、新書館、2010年。英語版はHelen Keller and Arakawa, especially Chapter 6 “I to I or East to East,” and Chapter 26 “The March of the Transitive.” Madeline Gins, Helen Keller or Arakawa (Santa Fe, NM; New York: Burning Books with East-West Cultural Studies, 1994)を参照。

[11] Madeline Gins in Martin E. Rosenberg, “An Interview with Arakawa and Gins: February 10, 25; March 12, 2010,”(荒川とギンズへのインタビュー:2010年2月10日、25日、3月12日)、9頁。このインタビューはReversible Destiny Foundation のウェブサイトにアーカイブされている《Ag3オンライン・コンファレンス》の一部として行われたものである。Ag3 Online: The Third International Arakawa and Gins: Philosophy and Architecture Conference, https://www.reversibledestiny.org/ag3-online-the-third-international-arakawa-and-gins-philosophy-and-architecture-