Ambiguous Zones 9: ヴェネツィア・ビエンナーレ

上図:ヴェネチア、サンマルコ広場の荒川。おそらくカフェ・ラヴェーナにて1970年撮影(ポラロイド用印画紙は1969年のもの)

みなさま

美術の国際展として世界で最も権威を持つとされる現在開催中のヴェネチア・ビエンナーレ。今年は日本が参加し始めてから70年目となります。そこで今月の『Ambiguous Zones 』第9号では、荒川が代表作家として日本館館内展示に選ばれた1970年第35回ヴェネチア・ビエンナーレの様子を振り返ります。この回のコミッショナーを担当した美術批評家の東野芳明は、屋内空間全てを荒川一人に託すという日本館史上初の個展計画を打ち出しました。1963年以降荒川とマドリン・ギンズが共作を進め当時まだ進行形であったシリーズ<意味のメカニズム>からいくつかの大作が展示されました。人の知覚、そして知覚(この場合主に視覚)による情報収集、処理、解釈の行程を厳密に調べる試みのこのシリーズとともに、1960年代制作の関連素描やダイヤグラム絵画も複数展示され、過去10年間の荒川の軌跡を回顧する機会となりました。

Yours in the reversible destiny mode,

Reversible Destiny Foundation and the ARAKAWA+GINS Tokyo Office

東野芳明による第35回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示フロア・プランのスケッチ。東野はこれを1970年1月(ニューヨーク側1月21日受領印)書簡とともに荒川に送っている。荒川+ギンズ東京事務所アーカイヴより。このスケッチは本年5月に刊行された『ヴェネチア・ビエンナーレと日本: 1952-2022』(国際交流基金、平凡社, 2022)p.222に収められている。

第35回ヴェネチア・ビエンナーレは、1968年の学生闘争の影が残る1970年に開催されました。この回の日本館コミッショナーに抜擢された美術評論家東野芳明は、ビエンナーレの国別参加形式を問題点として考慮し、ビエンナーレ全体に共通すると思われるコンセプチュアル・アートの実践という角度から、一作家荒川を選出しました。(注1)こうして日本館始まって以来初めて屋内空間は一作家による個展となりましたが、屋外には当時新人であったもの派の関根伸夫の彫刻作品が一点(<空相>)展示されました。

日本館屋内展示の軸となったのは、1963年に荒川とマドリン・ギンズが共作をはじめ当時まだ進行形であったシリーズ<意味のメカニズム>の一部である大規模なパネル絵画作品数点でした。この展示が一般への初公開となったシリーズは、その後荒川とギンズによって1971年最初のプロジェクト書籍『意味のメカニズム』出版へ向けて完成されました。

第35回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館屋内展示風景。写真:東野芳明

この他、1960年代制作の関連素描やダイヤグラム絵画も複数展示され、過去10年間の荒川の軌跡を回顧する機会となりました。これらの作品群は<意味のメカニズム>同様、言語による意味の形成のプロセスや、(この場合主に視覚を通しての)刺激・観察・解釈の様々な過程、意識される以前とされた後の両段階での知覚の発動などを探る試みでした。

ビエンナーレのカタログへはギリシャ系アメリカ人の詩人・美術批評家のニコラス・カラスが寄稿し、その中で荒川による不思議な文脈での記号の使用が、いかに観る者に自身の次の「視覚の動き」がどうあるべきかを考えさせるか、を簡潔にまとめています。(注2)「参照物の構造が思いがけないものとして見える」とき、簡単なインストラクションを提供することは「あなたが見るものとあなたが知るもの」との裂け目を拡張する効果をもたらす、と述べます。(注3)

ニューヨーク・タイムズ紙掲載のレビューにおいてフレデリック・テューテンは、アメリカ合衆国館の展示に選ばれた「47人中半数以上のアーティスト」による「ヴェトナムとカンボジアでの戦争へのプロテストとして」の展示ボイコットについて語っています。(注4)そして、リチャード・スミスと荒川の二人は伝統的美術を追求している唯一「語るに値する」アーティストである、とします。さらに荒川について引き続き下記のように述べています:

荒川の13点のシリーズ絵画作品に見られるイメージとテキストー言葉と文章が鑑賞者へのインストラクションとなっているーは、文字通り認識すると、鑑賞者のイメージの理解をあやふやにする、もしくは修正させる。また、それらは絵画の視覚的構造ともなっている。これらの作品は表面的には形式ばっていて冷ややかではあるが、そこには確かに彼の知性と性格がひめられている。(注5)

1968年の第34回ビエンナーレではアーティスト達は作品のディスプレイのボイコットとして作品を壁側に向けたり、見えないようにカバーをかけて展示するなどし、戦争、不公平な労働環境、不均等な力関係へのプロテストとしました。第35回ビエンナーレではアメリカ人アーティスト達は完全に自分達の作品を撤去することによって政治的声明としたのです。アーティストの力は作品を出さないという簡潔な方法に純化され、可視と不可視の双方を政治的、および社会的な行為としました。荒川作品には一見して政治性は感じられませんが、第34回に次ぐ第35回ヴェネチア・ビエンナーレにおけるこうした文脈を通して考えるとき、荒川とギンズによる視覚、そして見るという行為自体の探索が、政治と社会の両領域に踏み込むものであることが明らかになるのです。

皆様に1970年のビエンナーレ展示会場の写真を楽しんでいただけることを願っています!

(注1) Ignacio Adriasola, “Japan’s Venice: The Japanese Pavilion at the Venice Biennale and the ‘Pseudo-Objectivity’ of the International,” Archives of Asian Art 67, no. 2 (2017): 223.

(注2) Nicolas Calas, “Shusaku Arakawa,” in 35. Biennale internazionale d’arte: 24 giugno-25 ottobre 1970 (Venezia: La Biennale di Venezia, 1970), 46.

(注3)        同上、 47.

(注4) Frederic Tuten, “Soggy Day in Venice Town,” New York Times, July 12, 1970, sec. Archives. https://www.nytimes.com/1970/07/12/archives/soggy-day-in-venice-town-soggy-day-in-venice.html.

(注5) Ibid.