Distraction Series 10: A round-the-world armchair vacation with Arakawa and Madeline

1.メキシコ、トゥーラのトルテック族戦士群像の間でポーズするマドリンと荒川

夏休み真っ盛りですがコロナ禍によりまだまだ旅行などに規制がある現状を想い、本日の『Distraction Series』第10号ではReversible Destiny Foundationが管理するアーカイブから、荒川とマドリンの世界各地への旅路を記録にとどめる写真の数々を通して、皆様をお茶の間から楽しめる世界旅行へとお誘いしようと思います。メキシコはトゥーラのメソアメリカの遺跡から、イタリア、フランス、日本、そして時にはニューヨーク州内の様々な土地で写したこれらのイメージから、二人の視点を時空を超えて感じ取ってみてください。春夏秋冬の風景、様々なポーズ、そして朝食をとりつつ次の旅程を立てるかのような二人の日常の姿などが見られる厳選した22点の写真を各写真のキャプションと共にご覧いただけます。

『Distraction Series』は好評につき今後は毎月第一金曜日配信へと移行いたします。今後はさらに各号の内容を充実させてお届けしていきたいと思いますので、9月4日の次号にてまたお会いしましょう!

Yours in the reversible destiny mode,

Reversible Destiny Foundation and ARAKAWA+GINS Tokyo Office

注)すべてのイメージはReversible Destiny Foundationアーカイブ所蔵です。複写許可申請に関するご質問等はemail rd@reversibledestiny.orgまでご連絡ください。

2.日本、茅葺き屋根の合掌造り民家の前で
3.イタリア、ヴェニス、ボートからポラロイド写真撮影中の荒川と、ラグーンの風を楽しむマドリン
4.フランス、まるでモネの絵画のような、干し草が転々と連なる田園を背景に立つマドリン
5.フランス、古城を背景に何かに想いを馳せる荒川
6.アメリカ合衆国、1986年9月、馬車を横に道の反対側を振り返るマドリンと荒川
7.ヨーロッパらしい雰囲気のある石積みの階段でポーズする荒川
8.ボートのデッキでポーズする純白のドレスを着たマドリン。カメラのレンズ左半分に撮影者の手が写り込んでしまっている。当時カメラで撮影された写真はネガ現像を経て初めてイメージを見ることができたので、こうしたミステイクの写真も20世紀の思い出らしくアーカイブに残されている。
9.日本、1979年、何処なのだろうか、草深い道端に何かを探すかのような素振りのマドリン
10.ニューヨーク州北部、石組みの壁から下を覗く荒川とマドリン
11.日本、箱根、1979年、有名な富士屋ホテルと箱根の山々を背に記念撮影するマドリンと荒川
12.ニューヨーク州北部、キャンプファイヤーの朦々と立ち上る煙の後ろからかろうじてのぞくマドリンと荒川
13.果たして帰路か往路か、飛行機の窓越しに撮った航空写真。中央と右上に見える輝く点はまるで月と星が宇宙に浮かぶかのように見えるが、実際は写真現像時に発生したミステイク
14.中央アメリカ、マヤの遺跡をゆく荒川
15.日本、1979年、箱根富士屋ホテル内のフレンチレストラン、ザ・フジヤで朝食中に執筆中の荒川とパンフレットなどを見るマドリン
16.イタリア、ヴェニス、1969年6月、逆光で黒い影としてのみ写る荒川と運河
17.イタリア、ヴェニス、サン・マルコ広場、1969年6月、トレンチコートを肩にはおってファッショナブルなポーズのマドリン
18.ピサの斜塔のようなタワーを背景に立つ荒川
19.イタリア、ヴェニス、運河をゆくボートが通り過ぎる建物のアーチが、ちょうど寛ぐマドリンの頭部を囲むよう
20. Arakawa sits in an armchair in the middle of an intersection in Japan. A bicycle wheel to the left and the grid lines of a building above, partially frame him in references to Modern art.
20.日本、交差点のど真ん中でなぜかアームチェアで寛ぐ荒川。後方左には車輪、背景一番奥には建物の壁面のグリッド が見え、荒川の絵画作品のモチーフにつながるかのような構図
21.メキシコ、トゥーラの旅路を写したフィルムストリップ。R D Fアーカイブに保存された、デジタル時代の今となっては懐かしいアイテム
22.1990年1月26日、静寂な冬景色。誰もがこうした心を打つ風景をデジタル写真で簡単に撮影する時代になっても、果たして本当の自然の荘厳さはイメージの中に止めることができるのだろうか