
荒川修作は1961年に渡米し、パートナーのマドリン・ギンズと共にニューヨーク在住。
荒川は渡米前、「反芸術」を掲げて結成された「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」のムーブメントに一時関わっていたが
、幼少より「死」という与えられた人間の宿命をのりこえようと(=それ以外に生きる仕事はない、と確信し)、ニューヨークへ移り住む。
渡米後、マルセル・デュシャンと出会う
。荒川は自分が試みようとしていた芸術の世界(言語を用いた精神の世界の表現・創作)をデュシャンがすでに体現し、突き詰めていたことを知り、それを超えるには身体・肉体に向かわなければならない、という自己発見をする。
1962年には公私ともにパートナーとなるマドリン・ギンズと出会う 。ギンズと意味のメカニズム・プロジェクトを始め、1971年にドイツにて『意味のメカニズム』が書籍化される。同書は「1963年から71年に至るまでの荒川の作品集であるとともに、表題にある通り、荒川が最も深い関心をよせていることがらを示したものである」(岡田隆彦編・荒川修作年譜『現代思想』臨時増刊号より)日本版はリブロポートより、1988年刊行
。
『意味のメカニズム』は不確定性原理を提唱した物理学者・ヴェルナー・ハイゼンベルクに賞賛され、荒川修作とマドリン・ギンズは1972年にドイツのマックス・プランク研究所に招待を受け、多くの物理学者・科学者・生化学者を知ることになる。なお、『意味のメカニズム』は現在も、数学者やクリエーターのバイブルとして読み継がれている。この頃より、哲学・科学・芸術の総合に向かう仕事とはなにかについて、思索探求が始まる。
70年代、80年代は欧米を中心に数々の個展が開催される。と、同時に一時期ニューヨーク郊外のクロートン・ハドソンに場所を借り、身体を中心とした考察を様々に展開する。作品は平面から立体へと移ってゆくことになる。1987年、荒川修作とマドリン・ギンズとの共著『死なないために』を刊行する(フランス語版。日本語版はリブロポートより’88年に刊行)。
1991年に東京国立近代美術館にて開催された、「荒川修作の実験展−見る者がつくられる場」は、荒川+ギンズが続けてきた身体そして生命への探求結果を周知させる大きな転機となる
。
1994年、岡山県奈義町の奈義町現代美術館が開館、恒久設置作品としての「奈義の龍安寺」が完成。近年、パーマネント展示をうたう美術館が注目をされているが、当時は画期的な決断であった。設計は磯崎新氏、荒川+ギンズの他に作品が設置されているのは宮脇愛子、岡崎和郎。
「奈義の龍安寺」はシリンダー状の部屋の中に龍安寺の石庭が両壁に設置され、訪れた者の感覚を撹乱し、刺激を与えるのと同時に、荒川の唱える「生命の外在化」を体験できる貴重な構築物である
。
1995年、岐阜県養老町に「養老天命反転地」が開園される 。完成後12年経つ現在も、決して利便性のよい場所にあるとはいえないにも関わらず、年間約9万人が訪れる。
2005年、名古屋市住宅供給公社事業「志段味健康住宅科学公園」(現・シティ・ファミリー志段味)が完成
。「愛・地球博」に合わせて環境共生都市を謳う名古屋市が実験的に始めた住宅シリーズである。荒川修作は基本構想・基本設計を請け負った。
同年秋に、この「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」が完成する 。世界で始めて荒川自身が訴え続けてきた「生命を生む環境」「死なない家」の第一号である。9戸の集合住宅からなり、安井建築設計事務所が設計を、竹中工務店が施工を担当した。三鷹天命反転住宅へは竣工と同時に、世界各国からメディアが取材い殺到し、「芸術作品か住宅か」という議論は現在も続く。また、現代日本のバリアフリー考にも一石を投じ、この住宅の空間について理学療法・作業療法の分野からの考察が重ねられている。
2007年Bioscleave House完成 。ニューヨーク郊外のイーストハンプトンに建つ「死なない家」第二号である。正式なオープニングは来春、2008年4月のはじめにはペンシルバニア大学にて荒川+ギンズを巡る国際コンファランスが開催された。
関連図書;
『三鷹天命反転住宅 ヘレン・ケラーのために』(水声社)
『意味のメカニズム』(リブロポート)
『養老天命反転地』(毎日新聞社)
『建築する身体』(春秋社)
『死ぬのは法律違反です』(春秋社)
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