THOUGHTS
ホモ・エクササイズー生き抜くことへの賛歌
日々新たに目覚めるために-荒川修作とともに
エルヴィス・プレスリーへの手紙
宿命反転都市を目指して
 
日々新たに目覚めるために

 左右を反転するメガネや上下を反転するメガネがある。認知科学でときどき実験に用いられる (9) 。左右の反転メガネは、現実が鏡に映った像としてだけある世界である。自分の身体を一切視空間内から消し去り、鏡のなかの像が空間的な配置を決めている世界である。一八〇度回転の空間は、当初の驚きほどなじみにくいものではない。では眼を縦にして暮らすことができるか。平面が縦方向に伸び、ビルや家屋はすべて横倒しになっている。首を九〇度傾けた事態が、基本的常態であり、それで苦もなく暮らせる世界である。だが眼が縦に形成されている動物は、いまのところ報告がない。重力に直角方向に視界を広げるように眼は形成されているようである。荒川の形成した「遍在の場」は、眼を縦にして暮らすことの、さらに一歩先を行っている (10) 。ここでは眼に方向性がないため、眼の形成と同時に、空間そのものを形成しなければならないのである。この形成には、一定の機構が関与しているはずである。そこにはおそらく次のような特徴が見られる。

 (1)この機構が作動して制作を行なうさい、同じ作動を繰返してもなにひとつ同じ物ができない。これは差異化やズレによる産物の違いではない。また技術的限界による同一産物の形成の不可能性でもないことは明らかである。イメージしにくいことだが、むしろ同じ制作行為を行っているのに、産出されたものはなにひとつ同一のものにはならないのである。同じ行為の繰り返しが、すべて異なる結果をもたらすのは、制作行為の特徴である。こうした事態は、製作する行為が製作をつうじてそのつど自己を形成していることに由来する。たとえば初めて歩き始めた幼児にとって、一歩歩くことが歩行する自己の形成であるため、同じ一歩を歩くことができない。それと同じように、製作することが自己の形成である場合は、二度と同じ行為を実行できない。製作行為は、どの段階においても意図せず退路を断っているのである。

 (2)制作行為は、制作の場で作動を継続することで、産物を作り出す。この作動の継続は、単に目標に向かうようなものではない。同じ目的に対して、複数の選択肢があるからである。むしろ新たな選択がすでに行なわれた行為と接続し、しかも次の選択行為の接続へと開かれていなければならない。つまり目的適合的であることとは独立に、行為の継続そのものに制作の機構が関与しているのである。

 (3)制作をつうじての意味形成は、制作行為の継続をつうじて、はじめて意味の境界を形作る。この境界が既存の意味の境界と重なり吸収されるのであれば、制作行為は失敗である。ということは制作行為は、いつもみずから何を行ったかがわからない形で行なわれていなければならない。行為するものはまさにそのことによって、みずから何をしているかを知ることができない。行為の継続によって形成され意味の境界は、同時に制作的自己の形成でもある。制作をつうじて自己は形成されるが、この自己が何であるかがわからずに形成されているのである。



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1953年,鳥取県生まれ。
1953年,東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。
現在,東洋大学文学部教授
専門,システム論,科学論。
主要著作:『自然の解釈学ーゲーテ自然学再考』(海鳴社),『諸科学の解体ー科学論の可能性』 (三嶺書房),『オートポイエーシスー第三世代システム』(青土社)ほか。



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