堤 清二 セゾン文化、という革命をおこした男。

2017-04-21〜2017-06-11
松本市美術館

出品作品: 《連作・もうひとつの墓場》1960、《Gentle Friend》1985

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パルコもファミマも無印も。発生源は全部(みーんな)、セゾングループだった!

1970年代から80年代にかけて、西武百貨店を中心とした西武流通グループ(のちセゾングループ)は、西友ストアーとそのプライベートブランド無印良品の開発、パルコ、ファミリーマート、出版も手がけるリブロなどを立ち上げ、新感覚の経営を展開しました。そのセゾングループを率いたのは、堤清二。堤は優れたクリエーターを起用し、イメージ戦略を展開。キャッチコピー「おいしい生活。」(1982年)もそのひとつでした。1975年、西武百貨店内に開設した「西武美術館(のちセゾン美術館)」では認知度の低かった現代美術や、堤自身交流のあったソ連や中国の芸術文化を次々に取り上げ、立ち寄った人々に衝撃を与えました。美術館やホールを開設し、現代美術を、現代音楽を、舞台芸術を、積極的に紹介したセゾングループ。日常に刺激を与えた「セゾン文化」。本展では、セゾン現代美術館のコレクションを軸に、ひとつの時代をつくったセゾン文化の足跡をご紹介します。

―そして、辻井喬。

堤清二が詩人・辻井喬として松本市美術館の展覧会に寄せた詩を松本市美術館のコレクションとともに、また信濃毎日新聞で2006年に連載執筆した随筆を辰野登恵子の挿絵と合わせてご紹介します。

堤清二 プロフィール

1927年、東京生まれ。1955年、西武百貨店店長に就任。百貨店の催事場を美術展に用いることを提案し「西武美術館」を開館。1970~90年ころにかけての西武流通グループ(のちセゾングループ)の黄金期を築く。メセナ事業のためセゾン文化財団を設立。また「辻井喬」の名で数々の詩集・小説等を発表。1991年、グループ代表引退を表明。2002年、松本市美術館の顧問就任。2013年11月25日逝去。

(美術館ホームページより)